総入れ歯の大家、Dr.シュライヒの功績そして追悼
稲葉歯科医院で行っている、ドイツ式総入れ歯について、歴史とともに皆様にご紹介をさせていただきたいと思います。
当院顧問の稲葉繁先生は、1978年ドイツ、チュービンゲン大学の客員教授として留学をしていた際に、Ivoclar社主催の総入れ歯のセミナーを受講しました。
その時の研修部長が、Dr.シュライヒです。彼は、ミュンヘン生まれのドイツ人です。
ミュンヘンで歯科技工士の資格を取り、その後矯正学を学び、Dr.の資格を取りました。
その後リヒテンシュタインのイボクラーの補綴部長として迎えられ、イボクラーの総入れ歯のシステムを完成させ、世界中に普及をしました。
現在のBPSという入れ歯のシステムの前身です。
そこでは、日本の歯科医療教育による総入れ歯とは、全く違う方法で行われていて、大変な衝撃を受けたといいます。
稲葉先生が代表を務める、IPSGスタディーグループ発足の時、Dr,シュライヒをお招きし、総入れ歯の3日間実習コースを開催しました。
実際に患者さまの総入れ歯を3日間で製作するという形の原点となりました。
それから間もなく、稲葉先生は、ガンタイプのシリコン印象材が開発されたのを機に、「上下顎同時印象」上下の型とりを一緒に行い、丸ごとコピーする方法を開発、発表しました。
そういった繋がりから、Dr.シュライヒは引退する際、沢山の資料やスライドを稲葉先生に託しました。
そこには、シュトラックデンチャーを絶やさないでほしい、世界中に広めてほしいという願いが込められているのです。
日本で「総入れ歯の大家」といわれている方々は、少なからずDr.シュライヒの影響を受けています。
しかし、「オリジナルを学ぶこと」は何よりも大切だと思います。
日々進化し続けている歯科医療ですが、新しい技術であるかのように発表されたことは、実はすでに、何十年も前に行われていることだったりもします。
オリジナルを知っていれば、そういった情報に惑わされることがないのです。
〜Dr.シュライヒの経歴〜
・1926年ドイツミュンヘンで生まれ、父親はワイン作りのマイスター
・ミュンヘンで歯科技工士の資格を取得し、その後矯正学を勉強ドクターの資格をとる
・リヒテンシュタインのイボクラー社で補綴研修部長となり、イボクラーデンチャーシステムを完成させる
・その後イボクラーデンチャーシステムを広めるため世界各地で講演
・ブラジル、サンパウロ大学から名誉博士の称号を受ける
・1994年イボクラー社を退職
Dr.シュライヒはイボクラーデンチャーシステムで大きな業績を残しました。
1. ナソマート咬合器はデュッセルドルフ大学のべドガー教授が開発しました。
2. 印象はミュンスター大学のマルクスコルス教授のイボトレーを用いました。
3. ゴシックアーチ描記のためのファンクショングラフはポーランドワルシャワ大学のクラインロック教授からヒントを得たものです。
4. 人工歯はチュービンゲン大学のDr.シュトラックのオルソシット人工歯を用いています。
5. 重合方法はイボカップシステムを開発しました。
これらのまとめ上げ総入れ歯製作の体系を創り上げたのが、Dr.シュライヒです。
入れ歯のコンセプトは尊敬するDr.シュトラック義歯の理論を応用しました。
これまでの総入れ歯と全く違う方法を作り上げたのです。
Dr.シュトラックは顎が痩せてしまっても口の中の筋肉を利用して、歯があった頃と同じ口元を再現することを考えました。
Dr.シュライヒはこの理論を正確に再現しようとして、上記の1~5までの構成を創り上げ、素晴らしい入れ歯を完成させました。
1994年にDr.シュライヒがイボクラー社を退職して間もなく、彼の弟子であったMr.フリックが補綴部長となり、複雑なデンチャーシステムを単純化し、新たにBPS(Biofunctional Prothetic System)として応用されるようになりました。
稲葉繁先生が開発した上下顎同時印象法による総入れ歯はイボクラーのシステムをさらに向上させ、シュトラックのデンチャーを確実に再現するように改良を加え、1996年に新しいシステムを完成させ現在に至っています。
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実は、私が歯科大学に入る前、Dr.シュライヒのリヒテンシュタインのご自宅に一週間ほどホームステイをさせていただいたことがあります。
当時は、そんなにスゴイ方だと全く思わず・・・父である稲葉先生の仕事仲間ぐらいにしか思っていませんでした(^_^;
サボテンが趣味で、毎日数時間、永遠とサボテンの話を聞かせて頂いた事を思い出します。
そして、自転車もお好きで、2人で毎日お城巡りをしました。
私との会話の中に一切歯の話題がなく、それ以外の趣味があまりにも豊富で、どんな事にも興味を抱く方であったからこそ、このような素晴らしいシステムが開発されたのでしょうね。
Ivoclarの名前の由来ご存知でしょうか?
「Ivory 」アイボリー「clear」明るい から取ったそうですよ。
このような素晴らしい功績を残した、Dr.シュライヒが91歳で亡くなりました。
一人の方が亡くなるということは、一つの図書館がなくなるようなものと言いますが、正にぽっかりと胸に穴が空いた気持ちになってしまいました。。。
亡くなる直前に、Dr.シュライヒから9枚のお手紙をいただきました。今思うと、まるで、父である稲葉繁先生に遺言を残すような内容であったと思います。
父はDr.シュライヒから受け継いだ資料を大切に保存していましたが、それを今度は自分が後世に伝えたいそうです。
今、思い出すと涙が流れるほど、沢山の思い出をいただいたDr.シュライヒ。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
9枚の手紙の内容も次のブログで紹介させていただきたいと思います。